スラム、エイズ、ストリートチルドレン  
       
 

アフリカでは60年代に多くの諸国が独立を果たしましたが、70−80年代のアジア発展と半比例するように貧困が蔓延してきました。アフリカのどの都市にも貧困によるスラムが形成され、そこでは職や金を求めて売春や泥棒して暮らす人たちがたくさんいます。サハラ砂漠以南のアフリカ諸国で、HIV/AIDSの罹患者は3000万人以上いるといわれています。ケニヤでも毎日600人が死亡していると言われます。貧困家庭のスラムで赤ん坊を抱えた母親はミルク代を稼ぐために売春しなければ生き抜けません。コンドームを使わないほうが稼げるんです。子供達も大人には頼っていられず、ストリートに出て来て物乞い、スリ、カッパライで生き抜いてます。ナイロビでは02年の新政権発足後、このようなストリート・チルドレンは公民館に収容され、寝るところと食事が与えられ社会復帰を目指しています。将来、社会的に自立できるように大工、携帯電話や自動車修理などの職業訓練コースで学べるようになりました。しかし、卒業しても仕事はそう簡単にみつからないのが現状です。そこで、プムワニ公民館のストリート・チルドレン250名にマットレス(03年)、古着のシャツとジーパン(04年)を進呈しました。また、絵画、空手(右;新聞記事参照)を一緒に練習しています。

貧困層の人たちやストリート・チルドレン、あるいはHIV/AIDS感染者が自立してゆけるよう、様々な支援をするよう目指しています。現在、ニューヨークとナイロビで学んだカウンセリング(といっても治療薬もありませんが... )で、キコンバ・スラムのHIV/AIDS患者宅を訪問しています。訪問先の一人、オチエンさんは42キロまで体重が減り、杖をついて歩く程でしたが、今はサッカーをしています。また中学4年生が長女のエイズ孤児ハムザ兄弟に文房具をおくっています。左の写真は公民館のストリート・チルドレンたちが給食をもらっているところです。


以下、キコンバで取材したカメラマンの感想文の抜粋を掲載します。


キコンバというスラムでストリートチルドレン達に中古衣類のシャツとジーパンを寄付する贈呈イベントが行われ、私はそのイベントの写真撮影を頼まれた。キコンバ」とはアフリカ最大の古着市場なのだ。私はそんな巨大な古着マーケットと貧困スラムのコンビネーションに写真心をくすぐられてしまった。そのイベントではスト・チル達が歌やダンス、はたまたジャグリングやコントを披露してくれた。子供たちの活動は、日々の厳しい現実を一時でも楽しい時間に変えたいと思う気持ちを満たしていて、とても素敵なものだった。スワヒリ語がよくわからない私でも本当に楽しい時間だった。その後、キコンバの写真を撮りたい気持ちがおさまらずにいた私は、神戸先生に相談した。ナイロビのスラムは危険であり、ましてカメラを持って歩くなど、「襲ってください!」と言っているのも同然だからだ。神戸先生は私とキコンバへ一緒に行き、挨拶回りをし、何かあったら助けてもらえるよう頼んでくれた。翌日、まず私はカメラを持たずキコンバのバジューという居住区をブラブラ歩き、片言のスワヒリ語を交わし、顔を売って歩いた。そして何度か通ううちに、スラム住民も私の顔を覚えてくれ、挨拶を受けるようになり握手をする人の数も増えていった。知り合ったアブデイ・アリ(チーフの弟で無職)に撮影の同行をお願いすると、彼は快く引き受けてくれ、その後は彼に隅から隅まで案内してもらった。

撮影エリアはキコンバのプムワニという地域だが、その中にも区画ごとにニックネームがついている。ストリート・チルドレン(とはいえ、凡そ大人になっている)が公民館に収容されて集団生活を送っている「ソフィア」、ブザーという醗酵酒を造っている酒場のストリートがある「ディゴ」、中古靴売りのストリートを挟んで掃車場の「カタンガ(コンゴで動乱のあった所)」、広大な青空古着市場の「ボデニ(海岸地域の住民名)」、そして居住区の「バシュ」、「マシイモニ(穴場)」、「バジュン(海岸地域の住民名)」。ここは生活の場であり、洗濯場があり、バジヤ(アラブ風チップス)やチップスを路上で揚げて売っている太ったMama達が活躍しいる。そして、一発屋と言われる娼婦長屋も多く見うけられる。また「ニュー・プムワニ(新海岸というスワヒリ名だが別名カリフォルニア)」と呼ばれる団地エリアもある。部屋は東京のワンルームアパート並みで決して広いとは言えないが、スラムに暮らす人々にとっては憧れの中クラスのエリアとなっている。「プムワニってなんという意味?」とアブデイ・アリに尋ねると「relax place!(スワヒリ語で海岸という意味だが!)」という返事が返ってきた。私は3ヶ月間キコンバへ通ったが、よそ者の私でも、ここがrelax placeになるのにそう時間はかからなかった。下町の人情味が満ち溢れていた。しかし、ここにはムスリム(回教徒)の居住者が多く、宗教的に、特に女性は写真を嫌う人も多く、写真を撮りにくいという事はあった。さらに、カメラを持って歩く事が少し後ろめたかった。スラムには失業者、病気や犯罪など様々な問題がたくさんある。貧しい生活の様子が手に取るように見え、その中にカメラを持ち込み、彼らを撮る事が心苦しかったのだ。しかし、お金はなくても笑顔があり、それがせめてもの救いで、私は写真を撮り続けた。
 「今一番人気があるのは、あのタンザニア出身のお姉さんだよ」とアブデイ・アリに言われた。マラヤ(娼婦)さんである。話では、1回50ksh(コンドーム付きは少々安い)で1日20人から30人を相手にするそうだ。賃金的にも体力的にも、時間的にも信じがたい数字に、半信半疑ながら私は驚いた。マラヤさんは小屋同然(縦横約3メートル)の借家で商売をし、入り口のカーテンが戸板の外に出ている時が営業中の印だ。確かに真昼間からカーテンが外に出ているのが見うけられ、子供達はその前で無邪気に遊び回っている。エイズの蔓延が懸念され、実際プムワニでもポジティブ(陽性)の人々が多く、エイズや合併症によって亡くなる人も多いのだが、彼女達にはそうして稼ぐ以外に生きる術がないのだ。

スト・チルが寝起きしている公民館のあるソフィアにもよく通った。学校の体育館での合宿といった具合なのだが、もちろんそんな健全な雰囲気ではない。中では、お金を賭けてカードをしたり、10才に満たない子供達もグルー(シンナーを含む接着剤)やマリファナを吸っている。グルーが買えない子供達はガソリンを吸って喉をつぶしてしまう。そうやって、空腹やつらい現状から逃避しようとしているのだ。もちろん中にはYMCAに開設したコースなどへ通い、技術を身につけ、この生活から抜け出すために頑張っているスト・チルもいるし、グルーを吸っている連中に注意する者もいる。テレビやマスコミの取材を時折受けるようで、ジャグリングや、歌、変わりどころでは口の中でタバコを吸う曲芸など、芸を武器にプロデュースしてもらおうと必死に練習してアピールする子供たちも大勢いる。彼らがストリートに出ざるを得なくなった状況を考えると、頑張っている者へも、またグルーやマリファナにすがっている者へも、平等に何かをしてあげたい気持ちがこみ上げてきた。道を歩くと「piga picha! piga picha!(写真を撮って!)」と笑顔で近づいてくる。一枚撮ると「mimi! mimi!(私も!)」と言って終わりがない。

青空古着市場へ足を踏み入れると、そこはてんこ盛りの衣類の山が密集し、下着からスーツ、夏物や冬物何でも手に入る。物と人があふれ、喧騒の中を売り手の粋な掛け声をバックグラウンド・ミュージックにして歩く。「アメリカから来たTシャツが20シル! 安いよ!! みんな早く持って行け〜!」なんて言ってるらしい。実は、ここの衣類はエチオピアやソマリアへの援助物資の横流し物らしい。欧米ブランドのシャツがミネラルウォーター並みの値段で安く買えるので、ケニアの衣類メーカーは大打撃を受けるどころか繊維産業自体が発展しないというような状況であった。「横流しの黒幕は政府の要人が絡んでいるから、深入りして調べると殺されるよ」なんて脅かされもした。ここにある援助衣類はまず、ケニアのモンバサ港へ着くのだが、そこで横流しが発生する。するほうもするほうだが、物資を送っておいて、通関、輸送もそのまま現地任せというのもいかがなものかと思う。それでも私はこのマーケットの賑わいが大好きだった。

神戸先生と一緒に行くと、スワヒリ語のわからない私が見ている風景に色をつけてくれる。特にマタトゥ(庶民の足の乗り合いバス)でキコンバへ通う時には様々な人間模様が垣間見れるのだが、神戸先生はそれを日本語でこっそり教えてくれた。ある日、渋滞マタトゥの助手席に座っていた男性客が、前のジャガイモを積んだトラックの荷台に乗っていた男性に向かって叫んでいた。「いつも、5時になるとナイロビの道路は渋滞するんだ! それをすばやく割り込んですばやく抜け出すのがマタトウなんだ。お前らみたいなナイロビの交通ルールを知らない田舎運転手が来るから道路渋滞するんだ。そのジャガイモ袋を縛っているロープで自分の足縛って、さっさと田舎へ帰れ!」と脅していた。また「マタトウのドライバーが助手席に乗り込んだ中年ママに口説かれてるぞ! しかも彼女は往復乗ってジュースまでおごってるみたいだよ」とこっそり教えてくれた。ナイロビの街中にも面白い光景がたくさんあるようだ。次回ナイロビに来る時までには、スワヒリ語を勉強しようと思っている。現地の言葉を理解すれば英語よりコミュニケーションも図れるし、本音ももっと聞き出せるかもしれない。それに他人の会話もちゃっかり盗み聞きし、生の面白い情報も入ってくるだろう。そして何より、彼らの心に近づくことができる。僕は、今後もキコンバの写真を撮り続けここで写真展を開催したいと思っている。    04年末  米倉史隆fumitakayonekura@hotmail.com

 
 

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