神戸俊平プロフィール
1971年にアフリカに旅立って以来、47年が経ちました(2018年現在)。人生の半分以上の時間をケニアで過ごしてきました。
いろいろな場所でいろいろな事をしてきましたが、小さい頃に父に教えられた毎日の日記書きは、今でも続けています。
そこで今回は、その約50年分の日記帳を眺めながら、このプロフィールページを綴ってみたいと思います。気軽に流し読みしていただけたら幸いです。
大学卒業後、福島県で獣医師として勤務
日本大学の獣医学部に入学しました。学生運動が盛んな時期で、実のところ、まともに学校へは行きませんでした。1969年(昭和44年)に卒業し、獣医師資格を取得しました。
卒業後は、福島県の酪農協同組合で、獣医として3年勤務しました(福島第一原発のそばです)。酪農家飼養の大型家畜(主に乳牛)診療を行いました。
でも、ずっと心の中で、子供のころ動物園で見たアフリカの動物を生で見たい、アフリカで野生動物のための仕事がしたい、獣医活動したい、と願っていました。
そして1971年。失業保険金と農家の方からいただいた
アフリカ大陸で2年間の放浪生活
2週間の予定でアフリカに出かけましたが、約2年かけてアフリカ大陸をバックパッカーで巡ることになりました。喜望峰では強風で転げ落ちそうになり、ビクトリア滝の底で泳いでいると警備兵から銃口を向けられました。
遭難死亡した学生を探しにキリマンジャロ山へ登り、ナイル川を下りました。途中のスーダン南部はまだ内戦中で、大湿地帯の水底はどす黒く、内線の原因となった原油が湧いてました。日本に連絡を入れなかったので、私の妹は「兄は死んだのだろう」と思っていたそうです。
コンゴのジャングルで出会ったチンパンジーのキキを、ケニア・ナイロビの動物孤児院に預けて治療してもらいました(このエピソードは後に、NHKで特番ドラマとして放映していただきました)。
この動物孤児院は、ケニア野生動物公社(KWS)の施設でした。密猟者に親を殺された動物の子供や、国立公園で保護した野生動物を治療飼育する場所です。
私はボランティアを願い出て、さまざまな野生動物の面倒を看ることができました。現場のレンジャーから教えられることがたくさんありました。例えばカバに目薬をさすにも、地上では鋭い牙が危険ですが、水中だとおとなしいのでさすことができました。
ケニアで獣医を目指すため、ナイロビ大学院に入学届
ケニアの動物病院でボランティアをしているうちに、ケニアで獣医になろうと思い立ちました。しかし、アフリカ諸国では日本の獣医師免許は認められないので、その国で免許を取らなければいけません。そのためには学校に入り直す必要がありました。
そこで、ケニアのナイロビ大学院に入学することにしました。 しかし日本では学生運動ばかりやっていて、その後もアフリカでぶらぶらしていたので、かなりの勉強不足でした。学費不足でもありました。
そんなとき、コンゴで感染したマラリアが再発し、下痢と嘔吐にうなされました。
親切なアメリカ人との出会い
マラリアの影響で下痢・嘔吐が続き、「うどんなら食べられるだろう」と日本食レストランへ行きました。 すると、お店が混み合っていて、他の客と合い席になりました。そのテーブルであるアメリカ人男性と出会いました。お話をしてみると、この方は一風変わった趣味を持っていて、なんと「貧しい学生に学費を出す!」というのです。 私はすぐに厚意を受けることにして、ナイロビ大学の獣医大学院に入学申請を出し、入学試験を受けました。
ところが、なかなか、大学事務局から合否の返事が得られません。困っていると、知り合いになった元大統領の娘さん(当時のナイロビ市長)が、ナイロビ大学獣医学部長に電話して、あと押しをしてくれました。そのおかげで、1976年(昭和51年)ナイロビ大学大学院獣医学科マスターコースに入学できました。
頭の毛が抜けるほど苦しかった修士論文
ナイロビ大学の獣医学部は5年制で、授業は英語でした。欧米の著名な教授がナイロビ大学に来られ、学生が質疑応答しながら進める授業はとても有意義でした。卒業のための修士論文『手術前後の細菌感染について』を書く時には、語学力不足のツケが回り、頭の毛が抜けるほど英語では苦労しました。 たまたま知り合いになったジャーナリストの助けを借りて、無事に卒業できました。
修士過程を修了した後に免許が発行され、日本人第一号のケニア獣医師になれました。そして、ナイロビ市内で獣医開業することができました。
『友の会』の創設
ナイロビから約200km西にあるナロック州マジモト村で、マサイ族の家畜診療を開始しました。その地域では、マサイ族の畜牛がツェツェバエによって深刻な被害を受けていました。マサイ族の経済主体は牛なので、その牛が死んでしまうと、生活が成り立たなくなってしまいます。
その憂うべき事態に、ナイロビでの獣医を急遽閉業して、マジモト村での診療を開始。 ツェツェバエ・コントロール(殺虫剤を使わないので環境を破壊をしない防虫策)に力を注ぎました。
活動資金は、その頃に設立された「アフリカと神戸俊平友の会」を介して受けました。心から感謝です。
現在の活動
現在、アフリカ生活40年を迎えました。還暦を過ぎた現在も、獣医師・NGO団体として活動を続けています。マサイ族の家畜診療、野生動物保護、象牙国際取引反対運動、ODA開発の環境問題提起、エイズ罹患者カウンセリング、スラムでの給食活動などに取り組んでいます。 (詳しい活動内容の紹介はこちら)
毎年、春と秋の2回、日本に帰国するたびに、環境保全・野生動物保護に関する問題提起や啓発発信もしています。
また、2010年に長崎大学の熱帯伝染病研究博士課程に入学し、伝染病について学び直しています。
これからも獣医師として、NGO団体として、アフリカの大地に根を張る活動を続けていきます。
なにとぞ応援をよろしくお願いいたします。
動画での紹介
神戸俊平の活動履歴を、「動画」としてYouTubeで公開しております。受賞歴
1997年 第9回毎日国際交流賞この賞は、「一般市民の国際理解を深めることを目的として」平成元年、毎日新聞社により創設されたものです。
1995年 平成7年度外務大臣国際交流賞
1988年 日本大学農獣医学部賞受賞
1982年 第12回日本児童文芸新人賞「ぼくとキキのアフリカ・サフアリ」